Gentoo LinuxでWebcamStudioを使ってUstream/Justin配信する
前からLinuxでWebcamStudioというのを使えば割とちゃんと配信できることは知っていたんだけど手元にLinuxがなかった。しかし、この度Linuxノートをセットアップしたので、折角だからこれで配信してみようぜ!というノリだけでやってみようとしたら結構苦労した記録。ソースからbuildするにあたってライブラリや環境整えるのに主に時間かかっただけだけど…。
※ちなみにffmpeg単体で画面キャプチャして配信するお手軽方法もある模様。
【山田鰆】とび出す紙芝居「あかるいまち」
とりあえずこういうのはそのまんま見るタイプなのでそのまんま見た。感想は、とても人間くさいな、だった。でも人間くさくない解釈もあるな、とも思った。
ここから下は妄想。妄想です。作品本編を解説したものではありません。
ウソツキはどうなるのか。ざっくり2つの可能性があると思う。戻るか、進むか。
ウソツキの重要な点は、嘘を吐きながら自らを欺けていない点である。
暗いを明るいとする単純な語彙のすり替えにより、論理的矛盾を排して安心を得ようとする。なんとなく安心できない。求めたものを作っている筈だ。できたものを見ても申し分ない。ならば私の求めた世界はこういうものなのだ、と納得させるシステム。でも納得できない。だから嫌いだ。破綻している。
しかし外部から語彙を持ってきてしまった少女により、ウソツキは語彙の修正をかけられてしまう。明らかにされる嘘。
きっとウソツキは憧れを持ってこの世界を作ったのだろう。でも出来上がったものから期待した感動はなかった。何が原因だったのか?元々憧れを持った世界が矮小だった?力量が伴っていなかったからうまくできなかった?憧れたものが実は理解のできないものだった?それはもうわからない。なんにしろ認めたくなかった。
一方で明らかにウソツキと少女は感覚を共にしている。普通のセーラー服の少女と。
そしてウソツキは去った少女を再現しようとする。嘘を暴いた少女を。自らの本質に近い少女を。何故か?本当に求めるものは彼女が持っていたから?今からでも彼女に近付きたかったから?
あるいは自らの限界を体現する彼女を支配することで認識世界の神となり、かつて歩んできた憧れの世界に合わせて自らを創造しようしたのだろうか。
今はまだうまく作れないけれど、気の遠くなるような月日を経れば、あるいは…僕は、普通の人じゃなくなる、のかもしれない。
好きなゲーム…エロゲーだろうか
端的に言って、俺はエロゲーが好きだ。
いやエロゲーのエロ表現が好きかと言われるとかなり怪しい。もちろんそっちもいけるクチではあるが、それメインでエロゲーというジャンルを考えていることはない。エロゲーの領域で歴史的に育まれてきた文化に興味がある、と言っていいだろう。年齢的縛りのない、規制の比較的緩い場所で、発表されてきた作品群。そこにはエロや暴力、ある種のタブーとされるものに対する表現がある。
そういう意味ではエロゲーでなく成年ゲームと呼んだほうがいいかもしれない。
タブーとされていることが本当にタブーならば、その正当性を醜悪さや合理性を持って理解したい、という欲求があることに最近気付いた。もし説明ができないのであればそれはタブーではない。世界における価値観は必ずしも一つではないし、時代と共に常に変わっているものだと思う。だから俺は考え続けたい。
そのための思考実験の道具としてエロゲーにおける剥き出しの人間性を用いる。人間の思考。行動するに至るまでの流れ。特に極限状態におけるそれや、一般に狂気と呼ばれるような状態での思考。そこにはタブーに至るまでの思考や論理、正当性が描かれる。そういった状況を描き出すには、欲望の一角を担う性欲を欠いては愛すらも描き出すことはできないと思うのだ。
そんなことを考えてエロゲーをやり始めたわけではないが、なんかいつの間にかそういう感じでやってた。
そういう話。オチはない。
エンジェルウォーズ見た
必然性とかは置いておいて、まずアクションが素晴らしい。セーラー服、サムライ、ファンタジー、ロボット、ガンアクション、ミリタリー、外国人が好きそうな要素全部ぶち込んだ感じで、とにかく快楽的に見られる。 音楽がかなり意識的に用いられていて、特にアクションがミュージックビデオ的な構成になっている。そう言った意味で何も考えずに見られるだけのものはあると思う。
一方で俺が一番よかったと思うのは最終的なメッセージだ。ハッピーかバッドかは意見が別れるところかもしれないが、凄惨な結末と勝ち取ったものを強調し、現実を踏まえた上で逃げずに闘うのだという態度は素晴らしいと思った。そうでなくてはならない。




